サントリーニには、白壁リゾートの他にも見所がたくさんあります。
私は、特に歴史に詳しいわけではないけど、「古代都市」って響きを聞くと、どうしても見たくなってしまう。サントリーニを見渡せる丘の上にあるAncient Thiraは、紀元前9世紀から1000年に渡って栄えた街の遺跡。
この駐車場までは、車でもいけます。麓から歩くと、日よけのないアスファルトの坂道をひたすら40分くらいなので、夏は車がおすすめ。
紀元前9世紀って、日本は縄文時代の終わり頃から弥生時代の初めくらい。
歴史は熱心に勉強をしなかったクチなので(歴史だけなのか)、ビョーキーに「この頃日本はどんなだったのかなぁ?」と聞かれ、慌ててうっすらと記憶に残る社会の教科書をパラパラとめくりました。
たて穴式住居...土偶...縄文土器...?と思い出せるものを絞りだしたものの、「縄とかで土器に模様つけてたんじゃないかな」という私の適当な回答に、ビョーキーはそれ以上の質問をやめました。あとで自分で調べたほうがいいと思ったのでしょう。
ここは、他の遺跡と比べると比較的新しいのですが、火山や地震がある島で、2000年以上前の遺跡がここまで残っていることに、驚きました。
これは、ギリシャ神話の女神の像などを飾っていた集会所のようなところ。
下の掲示板みたいなものは、建設時に、ここのメンテナンスを約束した資産家の宣誓文がギリシャ文字で刻まれているそうです。
下の掲示板みたいなものは、建設時に、ここのメンテナンスを約束した資産家の宣誓文がギリシャ文字で刻まれているそうです。
この街には、教会などの集う場所があり、公衆浴場やジムがあり、劇場や美術館のような場所もあったそう。着ているもの、食べるものは変化して、テクノロジーは進化したけど、人がもとめるものは、変わらないのかもしれません。
エーゲ海の真っ青な海の上に浮かんでいるような街でした。
それから、エーゲ海周辺の紀元前1500年頃の遺跡では、最も保存状態が良いとされるAkrotiri Archaeological Siteへも行きました。ここは地震や火山で何度も埋もれた遺跡で、今も発掘作業が続けられています。
3000年以上前の建築技術と聞くと信じられませんが、当時から複数階の建物を建てていたそうです。誰かの真似をするのでなく、技術や文化を生み出す力がある人たちだったよう。当時、それができたのはこの国くらいだったかもしれません。それでも、それを持ってもっと力がある国になれたのではないかと思えるけど、ギリシャ人ののんきな気質がそれをさせなかったのかなぁと思いました。
街の一部は歩くこともできました。石を丁寧に積み重ねた塀、迷路のように作られた街の様子は、今のサントリーニと変わらないようでした。
ギリシャは紀元前から建築技術や文化が栄え、下水技術にいたっては今でも使えるレベルのものもあるそう。アテネでは当時のものを使っているところもあると聞きました。
ところが、今のギリシャでは水洗トイレに紙を流す事ができません。お尻をふいた紙は、トイレのそばのゴミ箱にポイ。小でも、大でも...。しばらくは、このルールに慣れることができませんでした。ヨーロッパでこういうの初めてでした。ようやく慣れて、LAに帰って来たら、今度はトイレに紙を流すのを躊躇してしまって、流すと、「あれ、流しちゃった」という罪悪感まで感じたりして...。
「ギリシャの下水技術は、古代ギリシャの時代で止まったまま...」なんても言われているようです。
ギリシャ旅行記4/8へ続く。
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